俺は施術着のポケットに忍ばせていた「あの封筒」に手をかけた。
そして一瞬、逡巡した。
だが俺はそれを莉緒の小さな、温かい掌にそっと握らせたんだ。
「・・・・莉緒。これは、今日のお前の頑張りへの報酬だ。取っておけ。お父さんには内緒だ。」こっそりと莉緒に耳打ちした。
莉緒は驚いたように目を丸くし、透明な瞳をパチパチさせた。
「えっ!? ほうしゅう? なにこれ、せんせい・・・・図書券?」
「ああ。先生が頑張った門下生にだけにあげる特別なご褒美だ。・・・嘘じゃないぞ。」
嘘だ。
それは俺の子供たちのために用意したものだ。
あの子たちが新しい参考書や、大好きな物語に出会うためにと祈るように選んだものだ。 俺はあの子たちに届かなかった「父親としての祈り」を莉緒への報酬という形に、無理やり書き換えたのだ。
「わっ! ありがとう、せんせい! うれしい! りお、これでまた『かみさまの本』買うね!」
莉緒はこれ以上ないほどの満面の笑みをたたえ、その図書券を両手で胸にぎゅっと抱きしめた。 その笑顔を見た瞬間、俺の胸の奥で何かがパリンと音を立てて砕け散ったのを自覚したんだ。
莉緒の父は治療院の門柱の横で待っている。
俺への「莉緒の師匠」という全幅の信頼が離れていても伝わってきた。
目が合った。
莉緒の父は穏やかな笑みをその眼もとに浮かべ、俺に軽く会釈した。
聞こえているのか?
いや、俺が莉緒に耳打ちしたときにすべてを察したのだろう、見て見ぬふりをしているのは明白だった。
(・・・・ああ。これでいいんだ。)
あの子たちに届かなかったこの「想い」は今、莉緒の笑顔の中でようやく居場所を見つけたんだ。 俺は莉緒の頭を無造作に撫でた。
「無駄遣いするなよ。しっかり勉強しろ。もう、お父さんのところへ行け。」
「うん! せんせい、だいすき!」
やばい。莉緒の不意打ちに俺は図らずも泣きそうになった。
莉緒が元気よく父の方へ駆け出していく後ろ姿を見送りながら、俺は自分の掌に残った、かすかな温もりを反芻していた。 もう彼女の膝は笑っていない。子供の回復力は驚異的だな。ふふふ。
莉緒。
お前に渡したのは、ただの図書券じゃない。
不器用な男が、一生かけても届けたかった「祈りの欠片」なんだ。
「……はは、ひどい嘘つきだな、俺は。」
誰もいない夕暮れの治療院。
俺は自分の空虚で乾いた笑い声が、少しだけ湿っていることに気づかない振りをしていたんだ。

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