第1章 第9節 ギフトの残心 ―長良川へ続く濃紺の導線―

ラウンジに残るつかさ様との対話の余韻が、莉緒さまを追って長良川へと向かおうとされる先生の足をラウンジの絨毯に、先生の視線をつかさ様の表情に縫い付けてしまったかのようでございました。先生が背負う「武人の身体感覚と矜持」をつかさ様の「異能の演算」が心地よく侵食していく・・・・・。
静謐なつかさ様の「気位」がグランドホテルのラウンジを支配し、先生はその制圧に屈せざるを得なかったのでございます。

椅子から立ち上がる刹那、彼女の重心は一ミリの揺らぎも見せなかった。
それは重力に逆らうのではなく、重力そのものを味方に付けた、あるいは『そこには最初から重力など存在しない』と言わんばかりの合理。
見事に体幹を安定させての起立。
机の端や、椅子に一切手を触れず、支え手すらいない。
とんでもない安定感だった。
私の武人としての本能へ、彼女の立ち居振る舞いそのものが『完敗』を突きつけていた。

「(・・・・・惚れ惚れするほどの身体操作だ。
私の動きを読み、拍子を合わせている・・・・。そして、視線が私の眉間をどこまでも捉えている。・・・・・見事な残心だ。)」
武人としての驚愕を隠せぬ先生に、彼女は眼鏡の奥を妖しく光らせ、逃げ出した少女の「行き先」をさらりと告げられたのでございます。

「さ、先生、お急ぎになって?うふふ。
莉緒さんが「追いかけて欲しくて」待っていらっしゃいますわ。
彼女の駆け出した勢いと、その方向、彼女の感情をパラメータとして演算すれば、行き先は長良川の河川敷・・・・おそらく、彼女は金華山に向かっていますわ。」

「(・・・・な!なぜ!そこまで読める?演算なんぞ、しているわけでは無かろう!?)」
先生の困惑に、つかさ様はただ「うふふ」と優雅に微笑まれるばかり。

「この世の中には生まれながらに「ギフト」を持つ者たちがいる。
先生もご存知でしょうに。
私もその一人かも知れませんわよ?うふふっ。」
私はすっかりつかさの「論理」に毒気を抜かれてしまっていた。

私の信念は常在戦場、全方位警戒である。いつものならあり得ぬことなのだが「初対面の者」つまり警戒すべき対象であるつかさへ、当たり前のように背を向けていたのだ。
椅子にかけてあったジャケットを掴み、歩きながら羽織った。
そして、エントランスへと足を向けた。まるでつかさに誘導されるかのように・・・・・。

「さ、先生。エントランスまでお送りいたしますわ。
こちらの支払いは気になさらなくても結構です。
莉緒さん、追いかけてあげてくださいな。
彼女、先生のこと待ってますわよ。うふふ。」

「ああ、分かった。続きはまた明日だ。
思うところは色々あるが、少し私にも時間をくれ。
では、な。」

グランドホテルの外で視線を感じて振り返ると、ガラス越しにラウンジの奥でこちらを見つめ続ける、濃紺、いや勝色のシルエットがあった。その視線は獲物を逃がさぬ鷹のようでありながら、愛しき子の門出を見送る母のような慈愛さえ湛えていた。
・・・・・いや、それは私の脳内に彼女が、直接流し込んだ『錯覚』だったのかもしれない。彼女の残心は私の心に熱く、狂おしく突き刺さってきたのである。

私と視線があった瞬間、彼女は絶妙の間で軽く視線を外し、音もなく美しい立礼を返した。
「(どこまでも立ち居振る舞いに無駄がない・・・・・・。見事だ。)」

・・・・・翻弄され、完敗したはずなのに。
私の胸の内には未知の強者と手合わせした後のような、不思議な高揚感が静かに満ち始めていたのである。

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