翌日、稽古を終えた莉緒が、例のごとく足を引きずりながら治療院に現れた。
「せんせー! 今日もがんばったよ! 空気椅子、一秒も負けなかったもん!」
顔を真っ赤にして、自慢げに胸を張る莉緒。だがその細い足は、まだ生まれたての小鹿のようにプルプルと震えている。
「・・・・・莉緒・・・・・お前、道場から直接治療院に来るなと、あれほど・・・・・」
後ろから莉緒の父が慌てて駆けつける。
「莉緒、いなくなっちゃダメじゃないか!・・・・あ、先生すみません。少し目を離したすきにいなくなっちゃって・・・・こちらに入っていくのが見えたものですから。躾が行き届かない娘で本当にいつもすみません。よくよく言い聞かせますので・・・。莉緒、帰るよ。先生のご迷惑にならないうちに。」
「だってー、せんせいの目が「莉緒おいで」って言ってるようにみえたんだもん。ちがったかな?えへへへへ。」
「何言ってるんだ、莉緒。先生申し訳ありません。帰ってよく言い聞かせますので、お許しください。莉緒、聞き分けなさい。帰るよ。」
「えーーーーー?!。」
莉緒は父親に手を引かれて、治療院の入り口で名残惜しそうに俺の目を見つめた。
俺は反射的に「あ、お父さんいいんですよ。実は莉緒に渡したいものがあったので・・・・ちょうどよかったです。」と声をかけてしまっていた。
「あ、分かりました。なら、私はそこの門柱のところで待ってますね。・・・・莉緒、ちゃんと先生の言われること、しっかりと学ばせていただくんだぞ?お父さんは外で待っているからね。では先生、いつもご面倒をおかけいたします。」
莉緒の父は穏やかにそう言うと軽く会釈し、口元に柔らかな微笑みを浮かべて、治療院の玄関を辞した。
莉緒の父はいつも謙虚だ。
常に熾烈な競争を強いる現代社会において、過酷な修行を修めている。それがしっかりと伝わってくる。
社会人として世間の荒波に揉まれ、それでもなお、しっかりと己の足で立ち、降りかかる現実の火の粉から家族を守っている。その矜持と自信が「謙虚」という行動に現れているのだ。
この自信が「過信」に変わると、人は容易に傲岸不遜で鼻持ちならぬ輩に堕す。その危うい平衡を彼は正気と矜持、そして家族への愛で保っているのだ。
俺にはその様な過酷な環境、「勤め人」という「道場」で揉まれることなど到底ムリだ。
俺はその生き方からリタイア、いや、逃げ出した男だからな。はははは。

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