・・・・・・書き終えた。
俺は使い込まれた万年筆をデスクに置くと、椅子の背もたれに深く体を預けた。
カチ、カチ・・・・と、書斎の古い時計が刻む音だけが、莉緒との熱を帯びた追憶を冷たい「今」のこの現実へと引き戻していく。
俺はふと引き出しの奥で眠っている「あの封筒」を手に取った。
宛先不明で戻ってきた色褪せた入学祝い。 中にある図書券は莉緒に「報酬」として渡したのと同じものだ。 俺はそれをそっと取り出し、窓の外の夜空に掲げてみた。
(……お前たち。今、どこにいる。どんな夢を見ている。)
俺が莉緒に伝えた「日本の誇り」を本当ならお前たちに、俺の膝の上で語ってやりたかった。 俺が莉緒を抱きしめたあの温度を本当ならお前たちに、毎日でも注いでやりたかった。
届かなかった。
間に合わなかった。
その「無念」が、俺を今の俺にした。
窓の外には岐阜の静かな夜が広がっている。 金華山の頂で岐阜城のライトアップが幻想的に青白く浮かび上がる。金華山の山肌の闇に小さな光がまたたいた。 あれは莉緒が言っていた「ぽわぽわ」・・・・たまゆらか、それとも・・・・。
「莉緒。お前が笑って過ごせる日本を俺が、必ず護ってやる。」
俺は一人、夜空に向かって静かに誓った。
それは莉緒への約束であり、そして、いつかこのブログを見つけるかもしれない、あの日別れた「我が子」への父としての唯一の詫び状でもあった。
「あの子たちも、莉緒も。今夜は温かい布団で眠れているかな・・・・・・」
俺は窓に映る若さを失いつつある自分の不器用な顔を見て、ふと自嘲気味に笑った。
目尻に溜まった熱いものが頬を伝う。
だがそれをもう拭う必要はない。
この涙は明日誰かの痛みを癒すための、そしてこの国を日本という至宝に「留める」ための、聖なる誓いに変わるのだから。
俺は再び万年筆を握り、真っ白な原稿の片隅に自分にしか見えないほど小さな文字でこう書き残した。
「志あるものは至誠塾を訪ねよ。――俺は、ここで待っている。」
至誠?
俺は書くとはなしに無自覚に書いた一文に惹かれた。
「至誠に悖るなかりしか」
旧帝国海軍の海軍五省の初発。
そうだ。この国から滅びつつあるのは至誠。嘘をつかぬ、そして神々に誓う一筋の誠、そしてそれを貫く熱き心、赤誠。これだ。
・・・・・そうか、俺がこの国を「日本」として美しきまま留めるために必要なのは至誠至心。これを伝えるために「器」が必要なのだ。それが至誠塾・・・・。
・・・・・だが、どうすればいい?俺にはその手段がない・・・・・。
静まり返った治療院の神前に柏手(かしわで)の音が響く。 それは俺からの過去への訣別であり、救国への魂の宣誓だった。

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