第1章 第7節 無給の参謀 ―受付を望む異形の知性―

「(この女、味方なら最強の手駒になるが・・・・、敵に回したら終わりだ!)」
私は抗いがたい好奇心にその警戒心が崩れそうになりながらも、かろうじて正気を保っていた。

「どうです?
私を先生の治療院で「受付」として「仮」採用されては?」
つかさ様からのその提案は、あまりに突飛で、あまりに不釣り合いでございました。 先生は先ほどの警戒心はどこへやら。思わず吹き出しそうになるのを堪え、苦笑されたのでございます。

「はっ?バカなこというな。俺の貧乏治療院で人を雇う余裕などはないわ。」
当然すぎるほど現実的な拒絶でございました。ですが、つかさ様は動じません。
ティーカップを置く音一つ立てず、その清冽な微笑みを崩されませんでした。

「あら?先生。私「賃金交渉」などという野暮なことを申しましたかしら?
無論、その様な「賄」は不要ですわ。
うふふふ。」
先生の脳裏を、得体の知れない何かが駆け抜けました。
無給。
その圧倒的なスキルを、ただの「受付」として埋没させるという狂気に先生は新たな戦慄を覚えられたのでございます。

「あんたはイカれているな。無給でその様な途方もないスキルを、たかが俺の貧乏治療院で、それも受付として埋没させるだと?はっ!お話にならんな。一体何を考えている?!」
先生の当然すぎる問いに、つかさ様は眼鏡の奥の瞳をすっと細められました。

「先ほども申しました通り、私は先生の「至誠」を世に問う「器」を作りたい。それがこの沈みゆく日本を留める救国の事業につながっていくのですから。救国の事業に、生活の糧など不要ですのよ?」
つかさ様は明日の天気でも語るような軽やかさで、資本主義の根幹を嘲笑ってみせたのでございます。
その声は甘い蜜のようでありながら、先生にとって平穏な日常を根こそぎ奪い去る死神の宣告のようにも聞こえました。賄、つまり生活の糧が要らぬのに先生の救国事業を支援するというつかさ様の言葉は、先生が自覚している己の狂気を上書きするほどの衝撃をもって、先生の心を揺さぶったのでございます。

「うふふ。
何度も申しますけれど、私は「許されて」おりますから。」

「許されている」だと?
私の耳の奥でつかさの繰り返す「許されている」という言葉が重く響く。

ただ間違いなく、この女は市井の優秀なビジネスパーソンを遥かに凌駕する。
そしてそれは、このどこまでも落ち着き払った、圧倒的な佇まいを見ても分かる。
単なるハッタリで、この様な存在感は出せない。
私はつかさの瞳の奥を、我が人生の全てを賭した望診で射抜こうと試みた。
だが、そこにあったのは濁りではない。底知れぬほど透き通った、虚無にも似た『純粋な機能』だった。
全人生をかけた望診がまるで巨大な鏡に跳ね返されてしまったような錯覚に陥り、私は完全に言葉を失ったのである。

「(この女、本物だ・・・・・・(絶句)
俺の望診を跳ね返すとは!無意識か?
それとも緻密な身体操作で隠形しているのか?!)」
つかさ様の目の奥はどこまでも澄み渡り、俗人ならば隠しようのない打算や利益という濁りは、先生の臨床で培った緻密な望診をもってしても、見抜くことはできなかったのです。

この奇妙な「参謀」との出会いが、先生の運命を不可逆的に変えていくことを、この時は先生も予想すらできなかったのでございます。
そしてその後日、先生はつかさ様のその落ち着き払った佇まいの背後にある秘密を知ることになるのです。

・・・・・私の細胞の一つひとつが、この女を『危険だ!』だと叫んでいる。だが、その悲鳴を塗りつぶすほどの、抗いがたい熱が背骨を駆け上がった。
この異形の知性を御することができれば・・・・・・。私が一人で描き続けてきたあの『空理空論の救国』が血の通った現実として動き出す!
その毒の誘惑に私は抗えずにいたのである。

静まり返ったラウンジで、私の耳にいつもは聞こえぬ腕時計の秒針がチク、タク、と時を刻む音が聞こえた気がした。感覚が極限まで研ぎ澄まされている。武術の立ち合いで圧倒的技量を持つ相手と対峙した時のような感覚。その時私は腕時計の秒針の音が運命のカウントダウンを刻んでいるような気がしていたのである。

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