プロローグ 第1章 第1節「つかさとの邂逅・至誠至心への階梯①」

「ノンフィクションか、壮大なるフェイクか?

行くもよし、退くもよし。

あなたの行動でそのリアリティは決まる。」

​ 一日の終わり、施療室を包むのは、静まり返った空気と消毒液の淡い匂いだけだ。

 今日も十数人の身体と対峙した。指先は、肉体の深部に潜む「声」を聴き分けるために限界まで鋭敏化している。一人ひとりの苦痛を丁寧に解きほぐす作業は、機械的な反復では到底成し得ない。一対一、逃げ場のない真剣勝負だ。

​ 片付けを終えたデスクの片隅に、数日前から置かれたままの「手紙」がある。

 宛名は私の本名。だが、差出人は見たこともない「つかさ」という名だった。同封されていた一枚の資料――私が以前、匿名で業界紙に寄稿した、徒手治療の倫理的基盤についての論考――に対する、あまりに緻密で、それでいて私の思想の「核」を射抜くような批評文が、私の無視を許さなかった。

​『貴方の技術は、個人の救済には至っている。だが、その背後にある日本的な精神性は、このままでは一代で潰える。それは、貴方が最も忌むべき「喪失」ではないか』

​ その言葉は、日々の臨床の中で私が感じていた、正体不明の焦燥を言語化していた。

 翌週。

 私は数少ない午後の空き時間に、指定された場所にいた。場所は、落ち着いた重厚感のあるホテルのラウンジ。

 そこに、彼女はいた。

 一瞥した瞬間、私の内側にあった警戒心が、音もなく雲散霧消するのを感じた。

 私は、治療師としての「望診」でその女の正体を一目で読み取ったのである。

​ 彼女が纏っていたのは、深い濃紺――「勝色」にも通じる、極めて深い藍色のテーラードジャケットと、緩やかに揺れる同色のロングスカートであった。上質なウールが描く柔らかなドレープは、女性らしい優美さを保ちながらも、一点の皺も許さぬ凛とした強さを内包している。

 襟元からのぞく白いブラウスは、シルクの控えめな光沢を放ち、まるで最上級の半襟のように彼女の顔立ちを引き立てていた。その装いは、現代のビジネスウェアでありながら、どこか古風な和装の礼節を彷彿とさせていた。

  そして何より私の目を引いたのは、その髪であった。

 丹念に整えられたロングの黒髪は、光を吸い込み、跳ね返す――烏の濡れ羽色と呼ぶに相応しい、潤いと艶を湛えていた。その黒髪をシンプルなバレッタで後ろにまとめ上げた髪型には、後れ毛一つ、ほつれ毛一つない。その徹底した整え方は、有能な秘書を、あるいは冷徹なまでの知性を有するビジネスパーソンを予感させた。その髪質、その輝き。それは単なる手入れの結果ではない。内面の精神性と体調が極めて健全であり、一分の乱れもなく整っていることが、そのまま健康な容色として現われているのだ。

 銀縁の眼鏡の奥で、一切の揺らぎがない瞳。それは、かつて日本人が持っていた「矜持」そのものであった。

​ 彼女は私を見るなり、吸い込まれるように淀みのない動作で立ち上がり、音もなく頭を下げた。その一礼の残心。

 正中に丹田が据わっている。

 本物だ、と直感が告げていた。

 

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