第1章 第2節「一人の修羅、つかさを試す・至誠至心への階梯②」

 「お忙しい中、無理を聞いていただき、感謝いたします」

​ その声は落ち着き払いつつも、氷を纏う冬の滝の流れのように清冽であった。その声質もまた、この女が日々の節制を遂げた成果を示すように一点の濁りもなかった。

​「……手紙の主か。よく私の所在を突き止めたな。あれは完全に匿名のはずだ」

​「貴方の書く文章の癖、引用される文献の傾向。それらを追えば、自ずと候補は絞られます。私は、貴方の『至誠』を、ただの感傷で終わらせたくないのです」

​ つかさは、手元のファイルを丁寧に開き、私に示した。

​「今、この國から消えようとしているのは、技術だけではありません。その根底にある、日本的な精神性そのものも、です。貴方が臨床で守り抜こうとしているその矜持を、私は法と、組織と、戦略という形で守りたい。そのための『場』を、私に作らせていただけませんか」

​ 私は、彼女を値踏みするように見つめた。この女は、私が一人の治療師として抱えている「絶望」の正体を知っている。

拾い集めても集めても、はらはらとおのが指先から零れ落ちる、日本的なるものの欠片。

  一瞬の感傷に浸る間もなく、絶望の淵を孤独に歩き続けてきた私の内側に、嗜虐的な悪意が静かに湧き上がるのを自覚した。

  ……この女を……試してみるか?

 「あんたは俺の絶望を、ともに背負う覚悟はあるのか?」

  私は、自身の掌を見つめ、静かに、しかし半ばあきらめつつ女に告げた。

 どうせ、この女も俺に近づいてきたこれまでの有象無象と同じだ。

 肝心なところで腰を抜かし、逃げ出すに決まっている。そうなる前にさっさと追い払い、私は私の日常に戻ればいい。それが、私を頼ってくる患者たちへの唯一の「誠意」なのだから。

 「俺が背負ってきた修羅をあんたはその双眸で直視する覚悟はあるのか? 俺の協力者を騙り、俺から何かを得ようと近づいてきた輩は、俺の背中から立ち上る狂気をみて、皆逃げ出した。あんたも俺の狂気に触れて戦慄するのは目に見えている。諦めろ。今ならまだあんたは引き返すことができる。俺は弟子も協力者もいらない。俺の技と保守日本への憧憬は俺一代で潰える。これは運命だ」

​ 突き放すような、無慈悲な宣告。

 だが、つかさは動じなかった。恐怖に震えることも、安易な同情を口にすることもない。彼女はただ、真っ直ぐに私の目を見つめ返した。

 その瞬間に立ち昇った凛烈たる気品こそが、彼女の内側に秘めた「日本の女」としての覚悟を証明していた。

 国の大義に殉ぜんと、身心を極限まで磨き上げる漢の背中を守る、という覚悟を、私は彼女の射る様に凛冽な視線から、それを読み取った。

 「その覚悟、とうに決めて参りました」

  ホテルのラウンジ。

 救国という、未だ実体のない咆哮が、一人の「参謀」を得て、静かに鼓動を始めた昼下がりであった。その光景を遠く離れた場所で、まだ何も知らない「大和撫子の卵」が見つめていることも知らずに。

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